よく人から、
「いろんな側面がありすぎてどれが本来のあなたかわからない」
「不思議な人だね」
「変わった人だね」
などと言われてきた。
実際に、ここ最近までは私自身も上手く答えられなかったし、悩んでいた。
どこにいても自分じゃないような気がしていて、いつも孤独だった。
「どっちが本当の私なの?」
いつも自問自答してきた言葉だ。
「ジャンルレス」と言えば一言で済むけど、私の人生は、結構いろんなジャンルの物事に顔を突っ込んできたように思う。
世間では真逆の属性として見られがちなもの、その両方を経験してきた。
少し例を挙げると…
・学歴
いわゆるお受験をし、中学から大学までずっと進学校だった。ある程度の学歴がある。
だけど、大学卒業後は就職もせず、ニートになって1年間の海外放浪の旅に出た。
・家庭環境
中学受験をしたと言うと、よくお金持ちなんでしょ?お嬢様なんでしょ?って見られる。
だけど、どちらかといえば貧しい家庭で育ったし、大学も奨学金を借りて通っていた。
・趣味嗜好
幼い頃からピアノをやっていて大学も音楽関係の学部だったから、クラシック音楽が好き。
だけど、高校生の頃からラップを好んでいたし、大学生の頃はヒップホップのダンスにハマっていた。
・経歴
お金を貯めるために、世間では大声で言えない職業、水商売を経験した。大学生の頃は京都の祇園、旅から帰国してからは東京の銀座、どちらの高級クラブでもホステスをやった。
だけど、起業をし、今は1人会社とは言えども社長業をやっている。
私立大学に行ったけど、同じ高校の同級生は国立大学を受験するのが当たり前だった。みんなにとって私立は滑り止めの感覚だった。
同級生以外の外の人からは、有名大学に行っていて凄いね!って言われるけど、私にとって、学歴はずっとコンプレックスだった。
だって、同級生はみんな国立大学に行っているのに、私は行ってないのだから。
義務教育である中学から進学校に通うのは比較的裕福な家庭層が多いのは事実。また、私が卒業した大学も富裕層が多い学校だった。
だから学生時代のあいだはずっと、お金持ちの家庭の友達が多かった。家が高級住宅街の芦屋だったり、親が経営者だったり。
何かが欲しい、又はやりたいと言えば親がポンとお金を出してくれるような友達が多かった。
私は、何かが欲しいと思えば、何かをやりたいと思えば、全部自分でお金を貯めなければいけなかった。
大学に行く学費自体も奨学金を借りたし、夏休みに1ヶ月NYに語学留学する時もアルバイトをいくつも掛け持ちをして必死に貯めた。
世界一周をする資金も、東京に引っ越しする資金も、起業する時の資本金も、全部自分で稼いだ。
恵まれた裕福な環境がずっと羨ましかった。アルバイトをしなくてよくて誰かが出してくれたら、もっと遊べるのにって。もっと勉強にも時間を使えるのにって。
そして、そんな友達に囲まれながら、一緒に過ごすのはずっと辛かった。
辛さを共有できず、なんでもないような涼しい顔して、心の中では寂しかった。
クラシック音楽は、俗世から離れたような、別世界にトリップできる感覚が好きだ。
雑音に囲まれた普段の日常生活では、聞けないような美しい音色。完璧なハーモニー。ドロドロとした現実世界からちょっと避難できるような心地がする。
だけどヒップホップのドロドロした生々しさも、人間くさくて好き。「俺はこんなヤツだけど、それでもやってやる」みたいな、反骨精神に惹かれる。
綺麗事じゃないド直球な歌詞や、熱い情熱が、心に響く。私ももっと踏ん張らなきゃ!というパワーをいつもくれる。
ホステスをやっていた頃は、世界一周がしたいと言えば、また起業したいと言えば、周りの心無いオヤジ達に否定され、バカにされた。
「経験のない小娘なんかが、ましてやホステスなんかができるはずがない」と。「世間はそんなに甘くないぞ」と。「どうせ失敗するからやめておけ」と。
私が女というだけで、経験がないというだけで、若いというだけで、見下してくる人たち。私の中身や、考え方をよく知りもしないくせに。
言い返したいけど、言い返せなかった。だって相手はお客様。高いお金を頂いてサービスを提供している。
それに、実際に成し遂げて結果が出ているわけではないから、言い返す武器がなかったのも事実だ。
悔しい。悔しい。悔しい。見下してくる相手に対しても、言い返す武器を持っていない自分自身にも、ここにいたくないのにいなくてはいけない環境にも、全てが悔しかった。
それなのに、最高の笑顔で接客しなければいけなかった。笑いたくない時に無理して笑うことほど、ストレスが溜まることはない。
「お金を稼ぐためだから頑張ろうよ」と自分に言い聞かせても、私の心が「辛いよ、しんどいよ」と訴えかけてくる。何度も何度も、家に帰ってから泣いた。
「ホステスという水商売をしている」と外の人間に言って、軽蔑されたことだって数知れない。
逆に、社長という肩書き、起業したという経歴を知って、やたらと尊敬したり態度を変える人もいる。それにも違和感を感じてしまう自分がいる。
私はまだなにも成功なんて出来ていないし、社会の中で誰かの役に立つ存在になれていないのに。社長になるなんて、起業するなんて、誰でも出来るのに。
私はいつのまにか、自分がどこの世界の人間なのかが分からなくなっていた。
10代から80代までという各世代と話す機会もあったし、無垢でピュアな性格の人から他人を陥れたり馬鹿にする最悪な性格の人とも人付き合いがあり、旅人から大企業の経営者までという職種の人に出会い、世界一周中ではさまざまな国籍の人や文化の中で過ごした。
若い年齢のうちに、あまりにも振り幅のある価値観に触れ過ぎたのだ。
1日のうちに、「100円のお茶を節約しよう」という価値観の人とも、「10万円のシャンパンなんて安いよね」という価値観の人とも過ごした。
ある時は、電車が3分遅刻しただけでも謝罪アナウンスのある日本で過ごして、ある時は、3時間遅刻しても「そんなことよくあるよ~それぐらいで気にすんな」と言われる文化の国で過ごした。
自分がAの世界の住人だと言えばBの世界の住人に引かれてしまい、Bの世界の住人だと言えばAの世界の住人に否定される。
どっちが良いとかどっちが好きとかは別になくて、Aの世界もBの世界も同じ地球上にあって、どっちの世界にも同一人物の私が存在していることがなんだか滑稽だった。
世間でお嬢様と呼ばれるような友達の前では、無理してお嬢様らしく振る舞った。
同年代の友達にはハイブランドの物を持っていると引かれたし、ホステスやお客さんにはブランド物を持っていないとナメられた。だから物だって使い分けた。
同じ社長業をやっている人の前では、水商売をしていた過去は隠して言わなかった。
でもどちらの世界にいても、完全にはその場に溶け込めなかった。
だって私はお嬢様でもないし、プロのホステスでもなければ、成功を収めた大社長でもない。
どこの場所にいても、なんだか「仮の自分」のような気分。
自分を自分でどう定義すればいいのか。自分をどこの世界の人間にカテゴライズすればいいのか。
どちらの世界も好きで、どちらの世界とも縁を切る勇気のない、中途半端な自分が嫌いだった。だから自分に自信も無かった。
「自分は何者なのか」がいつも分からなかった。
ずっと孤独だった。どんな場所でも。誰といても。何をしてても。
・・・
でも不思議なもので、人生なかば、アラサーにもなると、だんだん自分を許せるようになってくる。
「どれも自分なんだ、これでいいんだ」と。
「中途半端でもいいんだ」と。
「どっちの世界の人も知ってるから、お得じゃん」と。
「まあ、いっか、そんなこともあるよね」とそのまんまの自分を受け入れられるようになると、フッと肩の荷が下りたようで、すごく楽になる。
そして承認欲求を誰かに満たしてもらわなくても、自分で自分を許せるようになると、いつも穏やかに過ごせる。自分にも他人にも優しくなれるような気がする。
今なら「どっちも」という中途半端な状態を、許せる。
物事は、白だけではないし黒だけでもない。
完全な正義も、完璧な悪もない。
時にはAに、時にはBに、日々変化しながら揺らいでいることこそが、自分の姿なんじゃないかと思う。
私だからこそできることが、たくさんあるように感じている。
例えば、Aを切り捨ててBだけを追求するんじゃなく、AとBをコラボし上手く融合させ、それを強みとして活かしていけるようなこと。
または、AからBになにかのエッセンスを橋渡しできるようなこと。
冒頭の「どっちが本当の私なの?」という問いかけ。
なんだか今なら、「どっちも本当の私」と笑顔で言えそうな気がする。
私は自分を好きになりつつある。
そして、変化していく自分を俯瞰的に眺めて楽しんでいる。
・・・
稚拙な文章ですが、私の自己紹介についてでした。
私がどんな人間か、根本的な部分が少しでも伝わっていれば嬉しい限りです。
過去から現在に至るまでの変化など、後半の部分はまだまだ書き足りないところもあるけど、それはまた日々の記事で表現していければいいなと思っています。
ここまで読んでくれた方、本当にありがとう!^^
では股\(^o^)/
コチラもよろぴくぴく