ブロケツ

ブログするか、ケツ出すか。アラサー女1人社長の等身大ぶっちゃけトーク。

何も言わず見守ることこそが本当の助け

何も言わず見守ることこそが本当の助け


大抵、母親って小うるさいものでしょ。

「アレしなきゃダメよ」

「コレしなきゃ後で後悔するよ」

「あなたのために言ってるのよ」

「あなたのことを一番わかってるのは私よ」

とかって。

 

うちの家庭は、良い意味でいつも「放任主義」だった。

就職せずに世界一周に行くと言い出したときも、女の子ということでものすんごーーーく心配はされたけど、反対はされなかった。

水商売をしてお金を貯めていた時も、コネも経験も全く無いのに東京に引っ越して仕事すると言い出した時も、お母さんは私をバカにしなかった。

いつも見守っていてくれていたし、応援してくれていたし、信じていてくれていた。

「あなたならきっと大丈夫」「あなたならきっと上手くいく」、この言葉に何度助けられてきただろうか。

世界で最上級の応援って、この言葉なんじゃないだろうか??

 

本当はものすごく嫌だったし心配だったと思う。

親の価値観は、親世代の中ではいわゆる「普通」な人だからだ。

元々は私にも、普通に大学を卒業し、普通に就職をして、普通に結婚して、普通に主婦になる、というようなものを望んでいた(いる)と思う。

(今はもう半分あきらめてるのかもしれないけどw)

親心としても、子供の生活が安定しているほうがホッと一息つけて精神的にも気が楽だろう。

 

それでも親の価値観を押し付けず、いつも私に選択権と決定権を持たせてくれた。

私を束縛せず、見返りも求めず、自由であらせてくれた。

放任主義ではあったけど、放置主義ではなかった。

いつも愛されていることを感じていたし、もし私がSOSを出した時は、なによりも私を優先して必ず助けてくれた。

 

 

 

うちの家は決して裕福ではなかった。むしろどちらかと言えば貧しかった。

貯蓄はなく、毎月をなんとかやりくりする、自転車操業のような家計だった。

それなのに、娘3人に、十分な教育費をかけてくれた。

お父さんの口癖は「娘がなによりの宝物」だった。

無理をして、進学塾にも通わせてもらって中学受験もしたし、高校生の頃には音大のピアノ教授の高いレッスン代も払ってくれていたし、夜でも練習できるよう防音室だって作ってくれた。

 

お母さんは、「さっきいっぱいつまみ食いしたんや」っ言って、メインのお肉のおかずは全部娘たちに食べさせてくれた。

お父さんは、娘たちに洋服は買っても、自分はノーブランドのボロボロの財布を使っていた。「娘3人が宝物や」っていつも言いながら。

 

昔は「ふーん。^^」って呑気に何も考えずその状況でいたけど、大人になった今では分かる。

子供の将来のために、いつも自分たちを犠牲にしてくれていた。

 

 

 

この家に産まれたことを、神様にすごく感謝している。

うちの親は決して完璧な人間では無い。

子供の頃はよく理不尽に怒られもしたし、なんだか頼りないし、素朴すぎてすぐ人を信じるから騙される危うさもあるし、でも繊細なところもあるし、社会でお金の稼ぎ方も下手だし、まずそもそもあまり私欲もない。

でも、自分で考えて自分で選ぶこと、という力が身についた。

放任主義にしてくれたことで、「自分」とはなんなのか、向き合う時間をたくさん与えてくれた。

 

私が仕事的にも安定していないこと、アラサーだというのに結婚もしていないこと、さぞかし心配だろう。

でも「結婚したほうがいいよ」「子供を産みなさい」なんて一言も言われたことがない。

むしろ、知り合いや親戚、ぐらいの関係の人のほうが言われる。

 

 

「困ったらいつでも助けになるから言ってね」というスタンスでいてくれる。

もしもの時、いざという時、助けを求める人がいるということが、なんと有難いことか。

心の拠り所があるだけで、全然違う。

 

どれだけ先になるのか分からないけど、

お母さんをフランスに連れていってあげたいなあ。

エステや美容院に連れて行ってあげてオシャレして欲しいなあ。

大きくて綺麗なおうちを建ててあげたいなあ。

時間をお金で買って、お父さんと一緒にゆっくり過ごす時間が欲しいなあ。

 

自分が大切な人を護るためには、やはりお金がいる。

私は今、お金を稼ぎたい。お金が欲しい。自分の中の男性性を育てたい。

そして自分なりの「幸せ」のために使いたい。

 

 

 

(なんか同じような表現が何回も被っちゃったな。

文章の順番も改善だらけなする。

次の記事早く書きたいからまあいっか。w

そろそろまとめへと展開いかなくちゃ〜。)

 

 

 

明確な言葉では言われていないけど、お母さんの望みは、私が笑顔でいることだろうと思う。

だから私が出来る親孝行は、私が幸せでいる環境を作ること、自分の素直な心が何を望んでいるかを知ってその欲望を叶えること。

私が人生の主役となって、私なりのハッピーエンドを作ること。

 

利他的に、「親のために我慢すること」や「親のために尽くすこと」でなく、利己的に「私が私の求めることをすること」なのだ。

 

 

 

<まとめ>

愛情ってなんだろうか。

「アナタのためを思って言ってるのよ!なんで分からないの!」と押し付けることだろうか?

 

元々は、「力になりたい」「助けてあげたい」という悪意のないピュアな気持ち。

でも「あなたのために尽くしたい」という献身的な言動は、時に自分のエゴの押し付けという攻撃になってないでしょうか?

 

「あれしなさい」「これしなさい」と世話を焼かれるのも嬉しいだけど、焼かれ過ぎはこちらも息苦しい。

家族、恋人、親子、親友、自分にとってかけがえのない大切な存在でも、過干渉は時に悪になってしまうと私は思います。

 

どれだけ近い存在でも、他人は他人。

あなたはあなた、私は私。

 

 

 

愛情とは、決して「尽くす」という能動的な行為とは限らないこと。

近過ぎない距離、つまり相手にとって心地よい距離まで自分が引いて、「あえて言わない」「あえて見守る」という選択を取ること。

束縛するのではなく、自由でいさせてあげること。

「帰ってきなさい」とは言わないけど、「いつでもこっちにおいで」と言うこと。

見守るけど、もし求められたら、迷いなく手を差し伸べるということ。

 

 

私が親から一番もらったものは、「愛情」。

愛情をたくさんもらって育ったからこそ、愛情深い人間になれたんだと思います。

いろいろ苦労もしたけど、人として一番大切なものを、温かいものを、教えてくれた。

 

お父さんとお母さんの子供で本当によかったよ。

産んでくれてありがとう。

 

では股\(^o^)/

 

 

 

 

 

 

愛情表現も、「+(プラス)」だけでなく「−(マイナス)」が多少あるほうが私は心地よい。

引き算された余白の空間で、自由にのびのび過ごせる。

 

枯山水にも書いたけど、「あえて無くしたもの」を感じること、「不足の美」を感じること、と似ている気がするなあ。

やっぱ芸術の趣味嗜好と自分の性格、好きなものにはなにかしら共通点があるのかなw

思考をアウトプットして書いてると色々気づけるからおもしろいw

 

「不足の美」についてはコチラ

www.bloketsu.com