よく「悟り世代」とか言われるけど、当たっているようで当たっていない。と私は思う_(:3 」∠)_
正確には「半分は悟りの境地」で、「もう半分は地に足をつけて生きろ」世代なのだ。
まず、悟り世代の年齢とは?
ググったけど、大体「ゆとり世代」が1987年~1996年生まれ、「さとり世代」が1990年代生まれ全般を指すみたい。
でも広義では、インターネットと共に育った世代はみんな、悟り世代と言ってもいいんじゃないかなあ?
そういう意味では私も中学生の頃からPCやケータイがあったし、現世代の申し子。
ゆとり世代とさとり世代どちらも、煩悩でギラギラした「欲」があまり無く、穏やかに堅実に過ごしたいという価値観が共通しています。
バブル時代の「派手に遊ぶ」「お金を稼いで豪遊する」「車・家・ハイブランドなどへの物欲」「大量消費文化」「恋愛至上主義」などが少ないとされているの。
それよりは、「上質なものを大切に使い続ける」「家族で団らんし食卓を囲む」「友達との時間や自分の趣味の時間を大事にする」など身の丈に合った落ち着いた暮らしを好むという価値観が大きいんです。
なぜ、「欲」が少ないのか?
きっとそれは、精神的にもう満たされている世代だから。
本やインターネットに良質な情報は溢れ、無料で知識欲が満たされるから。世の中の仕組みを知れるから。
お金を稼ぎ贅沢することだけが、幸せではないと理解しているから。
無理して外へ外へと出ていかなくても、人と繋がれるから。
私もそういう考えが部分が昔からあったけど、今は、あえて「実際に経験すること」を重視したい。
精神的充足よりは、経験的充足を手に入れたい。
お金もたくさん稼いで、欲しいものを買って、バリバリ仕事して成功して、外でどんどん人と出会って。
そこからの眺めを知った上で、そのあと「やっぱり幸せはもう既に持っていた。」と本物の悟りを感じて、穏やかな生活を送りたい。
私の好きなことばのうちの1つ。
「物格って后知至る(ものいたって のち ちいたる)」
これは、
「机上の空論でなく、実際に自らが経験し追求することによって、物事の本質や真理を理解する。」
という意味。
もちろん理論やロジックも大事なことだけど、どんどん実践して「自分で感じる」「自分で考える」ことを大切にしている。
私のこういう生き方は、これからもきっとかわらない。
そして、これからもっと加速していきそうな気がしてるw
世界一周をするまでに、私は、マチュピチュの写真を何回も何十回も見てきた。
それでもやっぱり、実際に見たマチュピチュは美しくて壮大だった。
写真や映像だけでも十分美しいけど、360度、自分の目では見渡せない。肌では感じられない。
実際に行ってみると、道中には険しい道があったり、清らかな空気が流れていたり、ヨガをする人たちがいたり…いろんな発見があった。
お隣の山、ワイナピチュに登ってマチュピチュを見下ろした時は、また違う景色を堪能した。
登山はキツかったけど、登りきった後に飲むビールは最高に美味しかった。
生きてくって、きっと、そういうことなんだと思う。
だから、マズローの幸福欲求の道のりを頭で理解していても、なお進む。体感するために。
もう答えは知っているんだけど、「答え合わせ」をする感覚。
もっともっと、感じたい。
そしてそのあと私は「川の流れのように」を歌いながら穏やかな気持ちで死んでいくのだろう。w
では股\(^o^)/
※マズロー:5段階で欲求を表した自己実現理論