つい最近聞いた話なんだけど、私の先輩の知り合いは、自分の苗字を名乗ることすら怖いそう。
詳しい状況までは聞けていないけど、たぶん子供の頃、両親から酷い虐待に合っていたみたい…
だから、自分が生まれてきた「姓」を口にすることに恐怖を感じるんだそう。
「改名して、自分としての人生を0から再構築したい」と考えてるらしい。
きっとこのままじゃ、自分の存在価値がグラグラしたままで、許せないんだと思う。
1つ前の記事で「許すことは大事」って書いたそばから、「許さないことが大事」ってタイトルつけてるね。
私、対極のことが好きなんです。許すことも好きだし、許さないことも好き。
矛盾だらけなんだけど、これが私なんです。
すいましぇん (棒読み
で本筋に戻りますが、「人に許される」って、ある意味しんどいことです。
「あきらめられる」「捨てられる」と同義語に近いから。
許すこととは、受け入れること。そのままを受容して、認めること。
私は昔、浮気した彼氏を許しました。許したからこそ、別れました。
「許さないから、今後も罪を償って!」と言われていたほうが、もしかして相手は嬉しかったかもしれません。
別れるということは、過去のものにするということ。
自分のものでいてほしいという独占欲から離れること。
自分のエゴを手放して、事実を水に流して、リセットしたんです。
ときには許されないほうが、精神的に楽っていう場合も結構あると思うのです。
自分が悪いことをしたのに相手に許されることで、「情けない」とか「借りができた」と罪悪感を背負って追い詰められる人もいる。
そして、許されて一度水に流れてしまったら、もう修正したり罪を償うことさえできぬまま、今後を過ごすことになる。
冒頭の話題ですけど、彼女が自分という人間とこれからも向き合っていくなら、許さないほうが今後にとってもいいんじゃないかなあと思います。
つまり、改名しないでそのままの姓を名乗り続けていく。
辛い過去、それを背負った上で、未来を生きていく。
辛くても、リセットをかけず、コンティニューし続ける。
許して、一度 自分の存在を無に還すのでなく、許さないまま向き合っていく。
誰にでも辛い過去は1つや2つあるし、みんなそれを抱えて生きている。
闇を持っているからこそ、光が際立つ。
言葉のニュアンスが難しいけど、「許さないことを、許す」と言う感覚ですかね。
意見はたくさん出ても正解は人それぞれ。でも最後に選択するのは自分。
以上、私が感じるままの、個人的な一意見でした。
では股\(^o^)/
よければセットでどうぞ