昨日の記事で私は、ダンスのリズム感は「間(ま)」が命!みたいな話をしたので、その続きというか関連する話。
ちょっとそこのおじさんおばさん達。だからダンスがダサいんだよ。 [リズム編] - ブロケツ
間に関して好きな言葉があります。
「間(ま)は魔(ま)に通ず」
これは歌舞伎の名優であり踊りの名人としても知られた、六代目尾上菊五郎が残した言葉。
踊りの間というものに二種ある。教えられる間と、教えられない間だ。
とりわけ大切なのは教えられない間だけれど、これは天性持って生まれてくるものだ。
教えて出来る間は「間(あいだ)」という字を書く。教えても出来ない間は「魔」の字を書く。
私は教えて出来る方の間を教えるから、それから先の教えようのない魔の方は、自分の力で探り当てることが肝腎だ。
欧米のダンスも、日本の踊りも、間が大切なのは共通だということがわかりますね。
振付けを教えることは出来ても、細かいニュアンスや絶妙な間の感覚を教えることは難しい。
要は、「教えられる間」と「教えられない間」の2種類あるんです。
だから同じ振付けを踊っても人によって表現や工夫のしかたも違うし、そもそも絶対的な正解もない。最終的には踊り手の感性、つまりセンスに任されることになる。
それこそが芸術であり、「美」の感性。機械と人間の違いです。
アートとは、「人間らしさ」の表現。
前回の記事で私はこう書きました。
優雅な人や色気のある人って独特の「間合い」があると思います。
1つ1つのしぐさの間に呼吸を感じる。
例えば、3秒見つめあって、微笑むとか。一呼吸おいて、大事なポイントを話し出すとか。ちゃんと「タメ」の時間があるよね。
その緩急に人って惹きつけられると思うんですよね~。
私は、ダンスもそれに通ずるものがあると思っていて。
ただリズムを正確に刻むだけでなく、振りのフレーズごとに「間」を感じるダンスって、すっごくかっこいい♡
ダンスの中の表現に限らず、日常生活においても絶妙な間を表現できる人は、とても粋だな~と思います。
絶妙なタイミングで声をかけてくれたり、その人にとって最高のシチュエーションを用意してあげたり、時には身をサッと引いたり、つかず離れずのコミュニケーションを取ってくれたり...
相手にとって心地よい間を図れることこそが、粋。
人は、当たり前の動作や単調なリズムでは感動できないのですね。
ハッとさせられる絶妙のバランス感覚に魅せられるのです。
また、間は時間の意味を指すだけでなく、物理的な意味においても重要だと思います。
「隙間」や「空白」という意味で。
インテリア空間のスペースであったり、ごちゃごちゃせず絶妙に引き算された洋服のデザインであったり。
「見えないデザイン」とも呼べばいいのかな。
物質的に存在しているところと存在していないところ、その関係性にこそ緊張感や緩急が生まれ、私達の感性を刺激してくれるんだと思います。
例えば私はこのブログでも文章レイアウトに空間を意識しています。
相手によって心地よいように、半角スペースなどを多用しているつもり。
文字がきゅうきゅうだと読む気無くしません?それに漢字ばっかりの硬い文章も、ひらがなばかりの文章も、どちらも好きじゃないんです。
(過去記事参照)
このように、「粋」と「間」は密接にリンクしていると思うんです。同義語と言っても過言ではないんじゃないかな?
似たような言葉で「空気を読む」「行間を読む」とかもよく言いますね。
鋭い洞察力とバランス感覚が必要です。
(脱線するので別記事としてアシンメトリーや不協和音の美学についてもまた語りたいw)
ところで「粋」の対義語はなんだと思います??
よく「無粋」や「野暮」と言われるみたいだけど、私は「マヌケ」だと思います。
「間抜け」...そう!間(ま)が抜けているんですねw
間というのは、表現して発する側と受け取る側のキャッチボール。一方通行では成立しません。
「違いがわかる。ネスカフェ ゴールドブレンド」ってCMの謳い文句じゃないけどw、「違いの分かる人」に私はなりたい。
そのために日々、ちゃんと間を受け取れるようにいろんな経験を積んで感性も磨き続けていきたいです。
まとめ
この世の全てはバランス。
「存在するものとしないもの」「足し算と引き算」「陰と陽」「光と影」「濃と淡」...
全部繋がっているから、センスのいい人はバランスを取るのがなんでも上手。
私もそうなりたいな。ふー、精進精進~。
では股\(^o^)/
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