神について書いたから、今日は鬼について考察してみるよん。
鬼の由来
鬼の元々の定義は、「恐ろしいもの」「正体のよく分からないもの」なんだそう。
語源も、平安時代の百科事典『和名類聚抄』によると「穏-おん-」が転じて「鬼-おに-」になったとされている。
「疑心暗鬼」という四字熟語にも鬼という漢字が入っているよね。元々は「疑心、暗鬼を生ず」という慣用句。
疑いの心があると、なんでもないことまで怪しく見え、あらぬ妄想に囚われてしまうさまを意味している。
人は未知のものを過剰に恐れるような心理を持っている。
そこから派生する負の情念、畏れ・憎しみ・妬み・恨みなど…そのいずれもが鬼だとも言える。
つまり鬼は私たちの心の内側にあるものだということ。
元来は実体のないものだったけど、人の想像力の豊かさはこれらの情念を具現化していった。
歴史書や絵巻に描かれた奇形・醜態など、おぞましい姿の鬼を生み出していったとされている。
鬼滅の刃のラスボス、鬼舞辻無惨
現代の鬼と言えば、『鬼滅の刃』。
クライマックスで今でめちゃ盛り上がってるね!私もどんな結末を迎えるのかが楽しみでドキドキ。
鬼滅の刃のラスボスと言えばそう、鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)。
( 画像引用:吾峠呼世晴『鬼滅の刃』)
私は鬼舞辻無惨こそ、「鬼」の概念そのものを表しているように思う。
自らを「限りなく完璧に近い生物」と評するように、事実、無敵に近い能力を兼ね備えている。
それなのに彼は常に”何か”に対して過剰に畏れを抱いている。
鬼舞辻無惨:
「私の好きなものは”不変”。完璧な状態で永遠に変わらないこと」
鬼舞辻無惨が求めているのは「永遠」や「不滅」。
唯一の弱点である太陽光を克服し、不死身の体を手に入れようとしている。
「死」を極端に恐れ、「生」に固執しどんな手段でも用いるその在り方。
鬼舞辻無惨に対し、蛇柱の伊黒小芭内(いぐろおばない)はこう表現している。
伊黒:
「誇りを持った侍でもなければ感情で行動する人間でもない、生きることだけに固執している生命体」
自分の「生」のためなら、何の感情も浮かべずに息をするように人を殺し、時には鬼に変えてしまうエゴイスト。
また自分を狙ってくる鬼殺隊に姿や能力を晒す事を極度に嫌がり、配下の鬼を道具扱いし、鬼殺隊の対処をさせている。
それなのにその鬼たちを内心では一切信用せず、鬼が徒党を組んで反逆しないように共食いの性質を与えて組織的行動を不能にしている。
もし自分の名前を少しでも喋ったり情報を漏らそうとすれば、自動的にその鬼を処刑する仕組みまで作ってしまった。
「自分の思想こそがこの世の道理」という考え方で、自分以外の存在を心底見下している独裁者。
新型コロナも一種の「鬼」
繰り返しになるけど、鬼の概念は元々「恐ろしいもの」「正体のわからないもの」。
今世界中で人々をパニックに引き起こしている新型コロナは、鬼そのものじゃない??
鬼滅の刃で「恐怖心に襲われた者の成れの果ての姿 = 鬼舞辻無惨」を表現しているとしたら、そのメッセージから私たちは学ぶことがあると思う。
人々の恐怖心は、何を引き起こしてしまうのか?
パニック?批判?対立?はたまた経済崩壊や戦争…?
私たちの心の内面に潜む鬼が暴走しないよう、常に注意しなければいけない。
「陰陽」という言葉のように、人の心の内側には「神」も「鬼」も両方住んでいるんだと私は思う。
本日のケツ論。
完璧で永遠に変わらない「不変」の状態を好み、「変化」という概念そのものを劣化と蔑んで忌み嫌う、鬼舞辻無惨。
近日中に、恐れを乗り越え変化することについてのテーマで書いてみるね!
では股\(^o^)/
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(関連してないやん!という意見は受けつけてましぇん)