私は、鬱患者でも、過去に鬱を抱えたでもなく、医者とかでもない。普通に健全なメンタルを持った、ただの一般人です。
でもそういう人が鬱についての記事を書くって、意外と貴重じゃ?
ということで、私が鬱について日頃どう思っているのかを書いてみるね。
鬱になったのはあなたのせい
過酷な労働状況、理不尽な上司の態度、ノルマのプレッシャー…
鬱を引き起こすトリガーとなるストレスフルな環境は、生きていれば誰しも多々あると思う。
会社のせい、上司のせい、プレッシャーのせい…
その度に「自分」を被害者にして「環境」を加害者にすれば、気持ちはラクかもしれない。
でも、たとえ同じ環境の中でも、鬱になる人もいれば、ならない人もいる。
そう、その人の「心」次第。最終的に、鬱になるかどうかを左右しているのは「自分」。
メンタルが強ければ、鬱にはならなかったかもしれない。
強くなくても、すぐ劣悪な環境に気づくことができ冷静に対処していたら、鬱にならなかったかもしれない。
…あえて酷な言い方をするよ。
「劣悪な環境」は、ただの「劣悪な環境」。ただそこに存在しているだけ。
その中に居ることを選択したも、鬱になるまでその環境を抜け出さなかったのも、「あなた」。
だから鬱になったのは、「あなた」のせい。「あなた」が、鬱になることを選んだの。鬱を呼び起こしたの。
こんな風に言われたら、ショックかもしれない。悲しいかもしれない。悔しいかもしれない。
でもごめんね。まずは、プライドを捨てて認めてみようよ。
鬱になった自分を許してあげようよ。受け入れてあげようよ。無理してまで十分頑張った自分を労ってあげようよ。
そして0に戻って、1からまた始めていこうよ。
薬に頼ってちゃ根本的に解決できない
次は薬についての考え方。
一般的には、病院で鬱の診断を受けるとすぐに薬を処方されるけど、私は抗鬱剤に頼るだけじゃなんの根本的解決にもならないと思ってる。
現在の日本の医療現場は、西洋医学に基づいた薬物療法が主流になっている。
薬によっては副作用もキツイし、病院側の利益の為に、本来不必要な薬まで処方されるケースも後を絶たない。それぐらい医療ビジネスはグレーゾーンが蔓延ってる。
例えば総合風邪薬も、熱を下げるだけ、鼻水を止めるだけなどといった、ただの対処療法であるだけ。
言わば一時的に症状を和らげる応急処置であって、飲むのを止めたたら元の状態に戻ってしまう。
でも本質的に大事なことは、風邪を引きにくくするような免疫力を高める生活習慣であったり、もし風邪を引いても軽度で済むよう環境作りをする、といった類のこと。
それが見えてない人も多いんじゃないかなあと感じる。
鬱だって同じ。
状況が酷くて辛いときには、西洋医学の思想「患部の痛みを和らげる」で薬物療法にも頼るべきだしラクになっていい。
でも薬で治っても、再度繰り返すかもしれない、というリスクは減っていない。
東洋医学の思想「体質から改善する」ことも大事で、人間が本来持っている自己機能を中長期的に整えていくべきだと思う。
それには、普段から思考のトレーニングをしたり、自分に合ったストレス発散方法を試してみたり、メンタルを保つためをコツを見つけたり。
もちろん心と身体は繋がっているから、健康的なごはんを意識したり、よく眠れる環境を作ったり、お日様を浴びてエネルギーをチャージしたり。
自分の身体は、薬に頼らなくても本来優れた機能をたくさん持っている。
そう信じてあげられることが出来たら、薬に対する考え方もまた変わってくるかもしれないね。
鬱になるのは不幸なことか
鬱になること、病気になること、死ぬこと。人は皆、それらを必死で避ける。
人間関係を恐れ、医者を過度に崇め奉り、大金を払って死を遠ざける。
でも人間誰しも、いつも元気なわけがない、いつも健康なわけがない、死なないわけがない。
節目節目ではいろんなことが起こるのは至極当然。どんな人だって変化するし波がある。出会いがあれば別れもある。
いつも完璧でない自分を受け入れ、当たり前のことを当たり前と受け入れたら、もっと心がラクで自由でいられるんじゃないかと思う。
人々が「不幸」と呼ぶものたち。
きっとそれに対する嫌悪感・抵抗感・恐怖感が日頃から大きすぎるんじゃないかな。
人間誰だって、傷が出来て膿むことがある。
でもウミを出しきれば、痛みは収まり、傷だって治る。新しい皮膚が再生する。
そして、傷を負った経験は決して無駄にはならない。自分の器を大きくしてくれる。
人の傷の痛みが分かって、共感してあげられる。優しく接することができる。治す方法を教えてあげることだってできる。
不幸を知っているからこそ、幸せが分かる。
むしろ、幸せになりたいのなら、不幸を味わうべき。不幸は幸せを知るための素材。
不幸には意味がある。不幸はすごく大事なもの。
生まれながらにして、なんの悩みもなく、全てに恵まれていて、欲しいものは既に与えられていたら、自分の魂はなんの成長もできない。
むしろ不幸は「神様からの贈り物 = ギフテッド」と捉えることができたら、「不幸は絶対にあってはならない」から、「不幸があってもいいや」「不幸とも上手く付き合っていこう」と思えたら、すごくラクになる気がする。
まあ私もまだまだだし、すごく難しいことだと思うけどね。
それについて書いた記事、詳しくはコチラ。
問題解決を追えば追うほど、逃げられる。これは睡眠への考え方にも当てはまると思う。
よければコチラも読んでみてね。
人は生まれた瞬間から、死に向かって歩んでいる。
人は出会った瞬間から、別れに向かって歩んでいる。
その「ただそこにある事実」をどう捉えるかは、自分次第。
鬱は誰もがなる可能性がある
鬱の人へ。
「死にたい」と自殺願望がある人は、そのぶん心の奥底で「生きたい」と強く願っている証拠。
「劣悪な環境」で鬱になる人は、それだけ「幸せな環境」を追い求めている証拠。
きっと心の奥がピュアなんじゃないかなあ。。ほんとはとても素直な心を持っている。それってすっごく素敵なことだと思う。
ちょっと不器用なだけ。その素直な心の扱いに、まだ長けていないだけ。
まだ自分なら大丈夫、頑張れる、無理がきく。
そうやってもがいているうちに、きっと気づかないうちに、どんどん追い込まれて鬱を発症しちゃったのだろう。
ちょっと自分の力量を超えて無理しすぎちゃったんだよね。
偉いと思うよ。お疲れ様。^^
さあ、また動き出したくなるまで、ちょっと休もう。
私は、鬱と戦っている人や鬱を克服した人とも友達や知り合いでも多いけど、人間として大好きな人がすごく多いよ。^^
優しい人や真面目な人、ピュアな人がほんとにすごく多いからね。
私には大してなにもできるチカラは無いけど、その人たちの幸せを心の中で願っています。
鬱じゃない人へ。
鬱未経験といっても、健康と鬱の境界は曖昧。
鬱と診断されれば鬱という病名が付くけど、診断なくして同じ症状を抱える人も世の中にはたくさんいる。
それぐらい、鬱は私たちにとってすごく身近な問題。
未経験者でも、将来鬱になる可能性は十分ある。だからやっぱり、メンタルは日頃から鍛えておくべきだと思う。
そして鬱の人に対しては、あまり過敏に反応したり線引きをしたりせず、普通に接しよう。
鬱だって、例えばそれ以外の心の病気と言われる統合失調症やADHD等の症状だって、「ただの心の個性」と捉えるほうがいい。
こちらが過敏に反応すれば、きっと相手だって過敏になっちゃうよ。
本日のケツ論。
メンタルが傷つく原因って、私は主に人間関係が多いと思ってます。
なぜなら他人の心境を変えることほど、難しいことは無いから。お互いの「想いの大きさ」がすれ違いやすいから。それなのに変えようとして結局上手くいかない人が多い。
でも、自分の心境を変えることなら、割と簡単。扱い方のコツをちょっと知っているだけでもすごくラクです。
できることなら、少しでもラクして辛いことも乗り切るほうがいいなと私は思って生きているけど。
下の過去記事を貼っておくから、気になるものがあれば、よければまた読んでみてね。って私も常に修行中~
では股\(^o^)/
人間関係についての、私なりの考え方です。
ペタペタ貼っておくのでよければどうぞ