生け花をやったこともないし流派とかも全然分からないんですけど、鑑賞するのが大好き!!
それはきっと、アシンメトリーの美学に惹かれるから。
アシンメトリー(左右非対称)には、不均衡・不安定・不完全・不規則・不調和などといった意味合いを包括します。
が、それらの中で「絶妙なバランスの調和」を見出した時、見事な美しさを表現できます。
以前ピアノの話題で「不規則の中の規則正しさの調和:fぶんの1ゆらぎ」について記事を書きました。
まさしく生け花は「空間におけるfぶんの1」と言えるんじゃないでしょうか。
日本人の感性
西洋のデザインでは、均衡・安定・完全など、つまりシンメトリー(左右対称)が美しいとされています。
格式高いお城や庭園では必ずシンメトリーの造形が見受けられます。
例えば、ヴェルサイユ宮殿の豪華絢爛なお部屋、完璧にシンメトリーに作りこまれた人工的な美しさの庭園などなど。
それに対し、古くから日本人は、不均衡・不安定・不完全などアシンメトリーの美意識を大切にしてきました。
重心や奥行きを意識しながら、あえて均整を破り、不等辺三角形に要素を配置する手法を用います。
変化のある造形が、奥行きのある空間の創造をもらたします。
また、それぞれの要素がお互いの個性を強調し合ったり、欠点を補う効果が生まれます。
「余韻」や「間」は、その美しさを引き立たせる大切な要素とされています。
「足りないもの」や「無いもの」を感じる。引き算の美学とも言えます。
日本の庭園 枯山水では、最小限の素材を使用し、ほとんど何も無い状態で水や山などの自然を表現しています。
「水が無いからこそ水を感じる」という、逆転の発想です。
なぜこういった違いが生まれたのか?
それは海外、特にヨーロッパでは歴史的に争いが絶えなかったので、政治的な意図として、秩序や安定を表す左右対称の造形が好まれたのではないかと考えられます。
民衆に技術や権力を誇示することができるからです。
日本では島国に住む単一民族として国同士の争いが少なかったので、独自の文化、つまり情緒や風情を重んじる感性が発展したのではないでしょうか。
日本人も、シンメトリーを美しいと思う感性はもちろんあります。
平等院鳳凰堂や大阪城など左右対称の建物もたくさんありますし、末広がりの富士山のフォルムもみんな大好きですよね。
シンメトリーとアシンメトリー、両方の感性を持っているのが日本人の素晴らしいところですね。^^
フラワーアレンジメントでの比較
お花の生け方という分野でも、東西の違いは明確です。
ヨーロッパのフラワーアレンジメントはフォルムをまん丸にし、どこから見てもシンメトリーで同じように美しく仕上げます。
一方日本の花道では、1つ1つの草花の個性を活かしながら、「間」を持たせてアシンメトリーな作品にします。
それぞれの植物の個性をまとめ、全体の完璧さを生み出すシンンメトリーに仕上げるには技術が必要です。
一方、重心や奥行きなども考慮し、アシンメトリーな美しさを生み出すには絶妙なセンスが重要になってきます。
日本人のアシンメトリーのデザインは、時間経過を鋭く捉える日本人の感性から生み出されたものです。
「諸行無常」という言葉にもあるように、「全てのものごとは、とどまることなく変化してゆく」と考えてきました。
例えば、「あかつき」「しののめ」「あけぼの」「つとめて」など、朝のほんの短い時間の移ろいを敏感に感じ取り、数々の美しい日本語で細かく区別して呼んでいます。
生け花の伝書では「つぼみがちに生けよ」という教えがあるそうです。
開ききった花だけでは風情がないので、つぼみを多く入れなさいということです。
「つぼみが徐々にほころび満開を迎える」その植物の時間的変化にこそに趣がある。
そう、時間経過を計算し、植物の姿が変わっていくことも、作品としてのデザインに内包されているのです。
もし花を生ける時に整然としたシンメトリーにしていたら、植物が成長するほどにデザインはいびつになり、デザインが崩れていってしまいます。
ところがアシンメトリーのデザインなら、あらかじめ不安定なので、植物が成長することで全体の調和が失われるどころか、奥行きが出て深みのあるデザインになる。
「時間の移ろい」も含めての芸術なのです。
まとめ
日本では自然との調和を基本にしながら、そこに思想や情景をテーマに作品をかたちづくります。
アシンメトリーで絶妙のバランスが保たれていることに、「美しさ = 粋」を感じます。
ヨーロッパより圧巻さは少ないかもしれませんが、趣や情緒があり、私は日本人の美の感性が大好きです。
これこそAIでもなかなか真似できないメタ(高次な)認知能力の領域、抽象度が高い物事の本質を捉えるチカラ。
つまり「人間らしさの表現 = 芸術」と呼べるんじゃないでしょうか。
では股\(^o^)/