前の記事で、「猿真似なんて誰でもできる」と書きました。
でも本当は「猿真似」という言葉がなんとなく嫌です。書いたはいいけど、なんかしっくりこなくてずーっとモヤモヤしてます。
嫌いなら使うなって?そりゃそーだw
インパクトがあるからその言葉を使ったし、強い口調をあえて使ってるのには私の中で意味があるんですけど、まあその話は今日はいいや。
なんで猿真似という言葉にモヤモヤするか考えてみました。
それはきっと、あたかも猿を見下したような言い方が嫌だから。
猿以外にも、「ちくしょー!おぼえてろー!」とか言うけど、その語源は「畜生」。
畜生は仏教思想から来ていて、広義では、人間以外の動物や生き物全般を指します。
でも多くは「こんちくしょーめ!(この畜生め)」などと、蔑む意味合いの言葉。
馬は鎖に繋がれ、鳥は飼われた後に食べられ、人間がその他の動物を支配しているという考え方が元らしい。要は「人間より無能なケダモノ」だと言っている。
どうして上から目線で蔑むの?人間は高等生物で他の動物は下等生物なの?なにをもって高等なの??
さっきの猿真似や畜生という言葉に戻ると、「無能」の対義語は「有能」。
ただ、その無能か有能かの比較は「人間社会という枠組み中で生きること」という視点に限定されている。
人間社会における中で、知能があるかとか、知性的だとか、道徳的だとか、優秀だとか。
言わば「人間という生物にどれだけ近いか」で有能さを測っているようなもの。
そりゃ人間にとっちゃ有利だから、人間がヒエラルキーのトップになるよ。いわば出来レース。
人間中心でしか物事を見ていない、自己中な行為。勝負する土俵が限定的。
猿にとって有能さは、違う観点かもしれない。もしかしたら早く走れる能力のことかもしれない。
私たちは、犬のような鋭い嗅覚もないし、猫のように柔軟な身体を持っていない。
地上では器用に生活できても、水中では魚のように呼吸すらできない。
言葉は話せるけど、イルカやコウモリのように超音波をコミュニケーションの手段として使う能力はない。
動物だけでなく植物と比べても、私たちは光合成できない。生き物に必要な酸素を生み出せない。
バクテリアだって、地球誕生の時代とともに生存してきた。生命サイクルとしては、この地球を長い間生き抜いてきた知能を持つ、一番の成功者。
…まあ自分中心に物事を比較することはそこまで悪ではないと思うの。
日本人が世界地図を書けば必ずド真ん中に日本があるけど、西洋人が地図を書けば当然西洋が真ん中で、日本なんて地図の端っこにあるただの小さな島国。
地図だけでなく思考も「俺が世界の中心だ」でもべつにいいけど、だからって他を蔑む行為はまた違うんじゃないかなあって。
さっきの人間or動物だけでなく、同じ人間or人間でも、高等か下等かを決めつけたかのように横柄に振る舞う人っているよね。
んー。例えば、「俺は天下のお医者様だぞ?なんか文句あっか?」みたいな態度とか。
まあ後は政治家とか、先生と呼ばれるような職業の人たちに多い気がする。特に年寄り。(偏見ですねごめんなさいw もちろん素敵な先生方もたくさんおられます
農家より医者のほうが偉いの?有能な高等生物なの?
それじゃあ同じ人間内ですら、生命としての優劣つけてしまうことと同義になっちゃいませんか?
医者は偉い、とチヤホヤ周りからされるのはきっと、人にとってこの世で一番の恐怖が「死」だから。
そして治療とは「死」を遠ざける行為。自分にとって最も怖い存在の「死」を取り払ってくれたことに対し、感謝を通り越し、ときに人は過剰にもてはやす。
それに勘違いした医者は偉そうな顔で振る舞うけど、ほんとにそんなにアナタは偉いの?
病気を治すことが良いとされてるけど、地球側の視点で見れば、また価値観が違うかも。
本来なら死ぬべき流れだった人が増えたら食料などのリソースはそのぶん減るし、二酸化炭素を出して地球を汚す。
過多な人口は地球にとったら負担かもよ。自然の摂理を、人工的に歪めていることになる。
なにが言いたいかっていうと、正義っていう概念も、視点次第でどうにでも変わるってことです。
猿にとっても、人間にとっても、地球にとっても、正解は違う。
主観でしかないのに、優劣を勝手に決めつけて蔑むのは、おこがましい行為なんじゃないか?って思うんです。
日常生活におけるマウンティングという行為も、どっちが高等か下等かを比較して見下すためでしょ。
例えば、正社員とアルバイト。
「俺は正社員だから偉い。給料も高くてし金持ちだ」とか。でも、視点を変えたら、お金という視点では裕福でも、時間という視点では貧乏かもしれないよ。
アルバイトのほうが、時間に関しては裕福だよ。お金という視点では貧乏でも、時間という視点では豊かかもしれないよ。趣味を満喫したり家族と過ごしたり、精神的に裕福かもしれないよ。
アルバイトの人は、そもそもお金という観点に土俵を置いてないのかも。
主観だけで決めつけて、蔑むのはすごく浅はかな行為。
優劣で競争するような「AかBのどっちを取るか」の序列社会じゃなくて、「AとBどちらもアリ」の共存を目指す思考こそが平和的かなあと。
純粋に、収入が多いか少ないかを比較するのはよしとしても、多いからってその人自体を無能か有能かを決めつけるのはお門違い。
全ての土俵において完璧な人間なんていない。
人をバカにしたら、結局は人にバカにされるぞってことです。蔑む人は、いつのまにか蔑まれてる。
すべては返報の法則。
…って今自分に言い聞かせてるなう。
このブログの全ての記事は、誰かに発信しているように見える一方で、自戒のためでもありますw
ゆるく書くつもりが長くなってきたのでこのへんで終わります。
では股\(^o^)/